思い出せない。
その割には私の脳内は意外と冷静だった。
取り敢えず今目の前にいるのは元希。すっごいニヤニヤしながらこっちを見てる。
そして私はどうやらコイツの部屋にいる。何かもう多少の混乱状態でもコイツの部屋の家具の配置とかだけはきちんと憶えてしまっているらしい。
空白
の1時間
「ねぇぇぇえ〜〜〜むぃいいいぃぃぃぃ……」
「何唸ってんだよお前」
「あ、元希…ヘルプ、ミー…! 私今眠過ぎる。でも寝たら死んじゃう気がする」
「ここは普通の日本の野球部の部室ですからそんな恐れはないですよ」
「敬語遣わないでよ、アンタが遣うと気持ち悪い」
「テッメ……!!!!」
「うぅぅう…も、ホント眠い……そりゃ就寝時間が3時とかだったら普通に眠いよね」
「お前マジで無駄に何やってんだよ」
何かもう榛名は私に対して呆れた感情しか向けていない気がする。「あー、コイツ馬鹿だ。もう駄目じゃねぇの?」みたいなオーラを発している。目で解る。目が何かそんな感じ。俺様な目が私を馬鹿にしたような目で見つめているのだ。
冬場になればなるほど人間布団の中から出たくないものである。どこかしら人間にも猫っぽさがあるんだろうか。
冷気を大量に孕んだ風が身体の芯まで染み渡っていて、今や私の掌は死人のよう冷たいのである。指先なんてありえないぐらい紫色で、掌辺りは真っ白。今ならあっついお湯に手を躊躇いもなく突っ込める気がする。
榛名は既に帰る準備に取り掛かろうとしていた。部室でうーうー唸りながら縮こまっている女にはもう興味が失せたらしい。
「もーときーぃ。カイロ持ってない? 私の憶測ではアンタ左肩辺りにカイロ貼ってそう」
「あ? 貼ってるけどやらねぇからな」
「何で! ケチ!!」
「当たり前だろうが! 左肩だけは絶対に譲らねぇからな!!」
「別にアンタの左肩に興味があるワケではなくて。カイロ。カイロ下さい。私マジで寒い…!」
知ったこっちゃねぇよ、なんて呟きが聞こえるような気がする…。
あー、ヤバい。今日1番恐いと言われている数学の時間に最前列でしかも教卓のまん前でこっくりこっくりするほどだったのに(皆にはそれがありえないらしくて変な意味で讃えられた)。
でもホント眠い。流石に夜中の3時までラスボス倒す為に起きてたんじゃ話にならないよね。しかも今日の1時間目から小テストだったのに。数学とかさ…どうしてあんな集中しなきゃならないものを1時間目から寄越すかな。普通大して集中しなくても良い漢字とかなら喜ぶけど……あぁ、欠伸連発したから目尻に涙が溜まってきた。きっと今私の目全体はウルウルしているだろう。
何故だか私はイライラしていたりどうしようもない時には破壊衝動に見舞われる(あぁ、そんな恐がらないでよ!)。
今までそんな大きな事はしたことないけど。部屋の壁を蹴って穴を開けてしまった事は家族にはささやかな秘密である。取り敢えずその場にあったポスター貼っといたけど…バレてないかな…。
最近は1人で、いとこのおじちゃんが壁とか直す業者さんだから修復して貰おうかなんて考えている。
あー、話が逸れた。
とにかく私は今どうしようもない。いくらこの部室という狭い空間に人間が2人で、おまけに私はコートにマフラー着て防寒装備だとしても、もう片方の人間があんな私からしてみれば寒々しい格好だったらそれだけで寒くなってくる。
「元希っ! せめてその寒々しいカッコはやめてよ!!」
「あぁ? んなの俺の勝手だろーが。」
「あー、はいはい。そーですね。何だよこの俺様野郎。ここはお前の国じゃない」
「んだとぉ!?」
「だってアンタまるでこの国が自分のもののような言い様なんだもん! あー、そうですか。この部室の中だけね。なんて狭苦しい榛名王国。」
「ウッゼぇなテメェ、本格的に……!!!」
「ほら、そこで耐えて。ここでアンタの忍耐力が試されるよ」
「その忍耐力を今正に崩そうとしているのが本人だけどな!」
そんな真面目なツッコミはスルーして、私の身体はもう体温低下に伴い寝る準備を整えていた。いすに座ったままグラングランしていた上半身が一気にガタッと大きな音を立てて机に叩きつけられた。
痛い。正直痛い。でもあまりにも何もしたくないのでそんな痛みなど放置で私は夢の中へレッツゴーとしていた。きっと秋丸みたいな良い感じの人が向こう側で待っていてくれるという事を信じ切っている。あれ、駄目だ私。何か凄い宗教にどっぷりハマッちゃった人みたいだからとにかく眠いという事だけは伝えとく。
凄まじい音を聞いて流石にヤバいと思ったのか、元希が私の身体を力ずくで無理矢理上半身を起こさせた。
ダルい。この体勢結構キツい。今元希の腕の力だけで上半身起こしてる。自分では一切力入れてないけどその分痛い。
「……おい、。寝たら死ぬんじゃなかったのかよ」
「ん゙ー……。ネロとパトラッシュが呼んでる…の」
「お前それスゲェ危機的状況だって。」
「だいじょーぶ……。」
「大丈夫じゃねぇだろが!! 起きろ!!!」
軽くペシペシと頬を叩かれた。すぐに返事をしなかったらあっという間に力強くなった。な、何コイツ…!? 恐ろしい…!!!
「お、起きてます…起きてますよ…。」
「そうかよ。じゃあ何か喋ってろ」
「………………真っ赤な血の色〜…♪」
「『血の色』じゃなくて『お鼻の』だろ!? トナカイだろ!!? しかも俺歌えとは言ってねぇ!!」
「あー……高いとこから…」
「は?」
「……卵落としての……水泳大会……」
「!!!??」
***
そこまでしか私は思い出せなかった。先程の全くの白紙な記憶ではないけども、思い出したところで大した重要性もない結果だった。
あー…取り合えずあんまり思い出せないけど、凄い事言った気がする私。
しかし今ここが元希の家だという事は私は元希によってここにつれて来られたのだろうか。
いや、まぁ、部室で一夜を過ごすってのは考え物ですけどね。それを考えれば素晴らしい行いだと思うよ、元希。
「目ぇ覚めたかよ」
「あー、オッケ、バッチシ。ちゃん完璧覚醒状態」
「そーかよ。」
ヘラッと笑った元希を、まだちょっと眠気が残っているのでボーッと見ていたら、「覚醒してねぇじゃん」とか笑われた。
「っつーかお前憶えてる?」
「何を?」
「色々口走ってたけど」
「へー、例えば」
「『元希が欲しいの…』とか「嘘おっしゃい、野球馬鹿。」
「ちぇー。…あ、でもお前爆弾発言してたぜ」
「何? 『高いとこから〜』のやつ?」
「お前それは憶えてんのかよ…」
「今思い出して色々恥ずかしいと思ってるところよ」
それにしても何であんな事を口走ってたんだろう私。何があったんだ私の脳内。
「あー、その後。スッゲェ爆弾発言」
「えー? アンタの言った冗談の『元希が欲しいの…』以上に爆弾発言なんてないわよ。私そこまで馬鹿じゃない」
「…ちょ、、今のキた」
「うるさい! 親指立てて言うんじゃない!!」
コイツホントに万年発情期だな!! 何でだ!!!
いきなり元希が真面目な顔してこっちを見るもんだから少し驚いたけど、私も負けじと睨み返した。
「睨むなよ」
「ほっといて!」
「俺さぁ、お前をわざわざ連れて帰って来てやったんだぜ?」
「ありがとうございます」
「(何でこーいう時だけ素直なんだよ)……。で、途中で酔っ払いみたいに色々口走っちゃってんの」
「マジですか。酔っ払いて。」
「マジマジ。で、結構色々言ってたぜ?」
「おぅ…私の馬鹿…!! こんな事ならラスボスを今日に回せば良かった…!!!」
「お前ちゃんと人の話聞けよ」
「アンタだって人の話まともに聞かないクセに」
何か来るかと思って私は思わず応戦体勢を取った。
元希もその場でクッションを持って体勢を整えたが、何か馬鹿らしくなって来たので2人で同時にそれを解いた。
「でさ、お前、俺に何て言ったか知りたくない?」
それが私にとって良い申し出なのか、そうでないのかは、まだこの段階じゃ定かじゃない。