「はい、犬千代様。まつめの特製ご飯にございまする!」
「おぉ、まつぅー!!」
目の前で惚けられても。
慣れている慶次にとって、おじとおばが目の前でどんなに仲睦まじくされようが、それは呆れの対象でしかなかった。
京から無理矢理連れ戻され、慶次本人は今どん底なのである。
いつものように隙を見て逃げ出そうとした。夢吉も肩に乗っている。
こっそり立ち上がろうとした瞬間、りんとした声で自分の名が呼ばれた。当然ビクリと身体が反応してしまう。
「ま、まつ姉ちゃん…」
「そこにお座りなさい! もう逃がしませんよ!!」
「違うって、俺は俺なりにまつ姉ちゃん達に気を遣ってさー」
「まぁ、そんな事…! いやだ、別に私達は……」
「まつぅー、おかわりぃ!!!」
すぐに反応したまつが利家から茶碗を受け取り飯をよそい始めた。懲りずに慶次が再び同じ事をしようとした時、まつが突然話を始めた。
「私は、さり気なく応援していたつもりでした」
「…まつ姉ちゃん…?」
いつもとは違う、静かな剣幕に、慶次は立たせかけた右足を戻し胡座をかいた。
ご飯をよそいながら、こちらを見ずに彼女は語りかけて来る。
「の―――あなたと仲が良いでしょう?」
「っ、に何かあったのかよ!!」
「落ち着け、慶次」
「利…。が、何か関係あるのか…?」
はい、犬千代様、と笑顔でまつが利家に茶碗に大盛りのご飯を手渡すと、一気に深刻な空気が消え失せた。霧が風に吹き飛ばされたようだ。
「あなたは勝手に京に行くだけですが、振り回される周りの身にもならないと、とんでもない失くし物……したとしても今後一切私は肩を持ちませぬ」
その言葉が終わると同時に慶次は勢い良く立ち上がった。突然の事で夢吉も驚いてキキッと鳴いた。
何も言わないまつに、これ以上自分に言う事はないと判断した慶次はすぐさま襖を開け走り出した。格好悪いとか、その辺を気にしている余裕なんてなかった。
「…まつ、良かったのか?」
「待たされる女子の身になればこそ、でございまする」
ニコッと微笑む妻に、利家は慶次に対する心配なんて無くなってしまった。
「縁談、ねぇ」
ひとりごちて、は部屋の中でぐったりとしていた。だるい。身体を動かす気にもなれない。座る気力さえどこかへ行ってしまった。幼い頃に貰った鞠をコロコロと転がしながら、ふぅと小さく息を吐いた。それは意味のないただ呼吸音が少し大きくなっただけのものなのか、はたまた溜息なのか。本人だけが事実を知っている。
「面倒だわ……」
自分も充分嫁がなければいけない年頃である。この慣れ親しんだ土地から離れるなんて、実感さえも湧かなかった。無気力な日々がここ最近ずっとだ。
嫁ぎたい人なら、いたんだけど。
御家の為と急かす親の手前、そんな事を言える程状況が読めない女に育った憶えはない。
嫁ぎたい人がいた―――でもその人は最早過去の人である。今更な希望なんて捨てる。期待なんてしたって、待っているのは裏切られての絶望なのだと、学んだのだ。信じる事なんて、馬鹿馬鹿しくてやってられない。
昔の自分を懐かしくも、馬鹿だったなぁと思うのだ。昔なんて、人を疑う事など知らずにのうのうと生きていた。何度も何度も陥れられても、信じ続けていた。
だけど、最愛の人に騙されて悟ったのだ。信じるだけ無駄なんだと。それでもその人に何度騙されただろう。確か7回目ぐらいで悟ったと思う。とにかく馬鹿だった。自分でもそう思うのだ。他人から見ればそれはどれだけ滑稽だった事だろうか。
「今頃は京か……。良いご身分よねぇ」
確かに前田家だから身分は良いか、と皮肉めいて言ったつもりが事実を言っただけだったので、呆れて溜息を漏らした。自分に対して、だ。
「どーしてよりにもよって私は他国に嫁がなきゃならないのかしら…」
大抵の女子というのは自分の土地で自分と係わりのある殿方(同じ織田家や前田家のお方だとか)と婚姻を結ぶものなのに。
他国に出されるという事はやっぱり自分は政略結婚の道具に使われるらしい。別段それに侮辱だとかそんな心持ちにはならないのだが、少しだけ、心の中で迷いが邪魔をする。
「……なるべく遠くない所が良いなァ。……信長様のとこの家臣の方とかなら全然問題ないんだけど」
だとすれば自分は随分上の方との婚姻を結ぶという事か。
遠からずも織田家とは係わりというものはある。ただ単に相楽家が前田家の部下の家系であるからなのだが。
「あぁ、でも京のお方なら退屈せずに済みそうだわ」
「じゃあ俺と一緒に来るかい?」
突然の事にの肩は見て解るほどにビクリと跳ね上がった。
どこから声を掛けられたのか解らなくて、キョロキョロと右往左往するように視線を泳がせたら、少しだけ風の通り道程度に開けておいた窓が開け放たれ、そこには立派な体躯を持った、見慣れた青年がいるではないか。
「……慶、次……様?」
「そーだよ。何? 暫く会わない内に男前になった?」
「……えぇ、とても。お元気そうでなによりでございます」
慶次は冗談を凄く真面目な顔で返されたので一瞬呆け、次は笑い始めた。
何がしたいのかとは少々訝しげな視線を彼に向けた。
「いっやァ、わりィわりィ!! それよりさ、。縁談があるんだって?」
「……はい、まぁ。先日いくつかお断りしたのでございますけれど、まだあるらしく…。どう破談にしてやろうか算段を練っているところでございますの」
「…はっ、破談にするつもり、なんだ?」
「えぇ。破談で充分でございましょう」
「へー……。嫁ぐのが嫌なのかい?」
「別にそのようなわけでがございませんが…。良いと思える方がいらっしゃらないのでございます。……婚姻を、結びたいお方ならいらっしゃいましたけど、そのお方とはどう転んでも無理だと判断したので(何でこんな事今更言ってんのよ、私)」
「何故?」
それをあなたがお訊きになるのか、とは少し心の中で悪態を吐いた。
解ってそう言っているのかどうか。もし解った上でのその言葉なら余りにも腹立たしいではないか。
さっきから問うてばかり来る事にも苛立ちが募る。
「……決心がついただけです」
「諦めなきゃ良いのに」
「っ…!! その方は他に慕っておられる女子がいるようだったので、決心しただけです」
「そんな簡単に?」
あぁ、煩いお方だ。
誰の所為でこうなっていると。
私の事を知りもしないクセに土足で踏み込んで来て、踏み荒らしては、また何事もなかったかのように去って行く。昔何度も経験した事のある気分の悪さが今も胸の奥底に蟠(わだかま)りを作っている。
「まっ、良いや! なァ、一緒に京に行こうぜ! さっきも言ったろ?」
ほら、また私がこんな風になった原因を気にも留めずに口にする(きっと私の事には大して関心を寄せてなどいないのだ)。
胸や腹の中がムカムカする所為で思わず喚き散らしてしまいそうになるが、家柄と立場を忘れてはいけない。家は前田家の配下だ。
「いけません、慶次様。私はお供出来ません」
「大丈夫だって! 少しぐらい「慶次様、まつ様に捕まりたくはないでしょう?」
「うっ…!? 、まさか…」
「今すぐ報せて差し上げても宜しゅうございますよ? 懲罰部屋に閉じ込められる前に姿を眩ましてはいかがです?」
慶次の眉は一本取られたかのように八の字になった。
「〜っ…!!」
「さァ、早くお逃げ遊ばせ!」
が突然大きな声を上げたからか、慶次は夢吉と共にビクリとして立ち上がり、窓辺に手を掛けた。
しかし彼は少しして遠慮がちに振り返った。
「なァ、。最後にひとつ訊いて良い?」
少し甘えたように、不安そうに言って来る彼は少年そのものと言っても過言ではなかった。
は一瞬躊躇ったが、どうせ最後だし良いかと思い、「何でしょうか」と尋ねた。
「の好きだった奴の名前、教えてくんない?」
つくづく男にしては色恋事がやけに好きな性分だなァと思う。
「…私の好きだった方の名前…」
「うん。」
次の言葉がきっと私の運命を変えたのだ。
「慶次様。」
「ま」と同時に塞がれた唇。
何をされているか解らないほどではない。しかし頭は冷静さを欠いており、混乱状態からは抜け出せる兆しも見えない。
脳内はゴチャゴチャと言うより寧ろ真っ白で何もない空間のような気がする。
小さく「過去形でもまだ望みはあるだろ?」と声がした。
真面目に見えた表情はすぐにいつもの笑顔を浮かべたものとなった。
「じゃ、今度は一緒に抜け出して京に行こうな! それまでどこにも輿入れすんなよ!!」
そう言い残して彼は消えてしまった。
は座り込んで顔を真っ赤にして四刻半ほどそのままだった。
変わったのはどちらの心か
(じゃあ目覚めたのは?)
あとがき
書き上げましたーっ!!! 実はこれが一番最初に書き始めた慶次だったり。突発的に続きが浮かんで来ました。私はプロット立てたりしませんからね、基本。orz
行き当たりばったりで書いてる馬鹿で計画性のない奴です。お陰で噛み合わないところなどあると思いますがご愛嬌(駄目じゃん)。いや、メルフォとか拍手とかからお気軽に色々言ってやって下さい…(^^;)
やっと慶次で最後がまだ明るく仕上げられたので嬉しいです^^ 今までの私の慶次は全てがシリアスで何か報われない、みたいな…?
慶次はこの機に乗じてまた逃げます。まぁ、今回はそこまでまつも怒らないみたいな感じが…。まつ大好きです(真顔)。
取り敢えず満足です←
2008.04.17
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