父に連れられて甲斐まで来た事は良しとしても、伊達と武田の大将同士の話し合いの最中はにとっては暇な時間でしかなかった。
その場に立ち合う事も許されてはいないので、縁側で一人のほほんと日光浴をしているしかない。
傍目から見ればこの城の子供のようだった。
「ひまー…。こんなことならいじでも政宗つれて来れば良かったー……」
今回甲斐までやって来たのは、が無理矢理輝宗に一緒に行かせてくれと頼み込んだ為だった。もう少し面白いものがあると子供心で期待していたのである。
政宗と小十郎も一緒に行こうと誘いはしたものの、二人とも首を縦には振らない。と言うかまず気軽にと大将同士の討論に着いて行こうとするの方がおかしい。
小十郎も(親馬鹿か)、と思わずを連れて行く事を許可した輝宗に苦笑したもの。
ともかくまだ十にも満ていないにとっては誰か遊び相手がこの場で欲しいのである。
元々ひとり遊びは苦手な性分だ。
「あ! 池!!」
少し視線をずらせば視界の端に池が入って来た。
何やら生き物が存在する気配も感じられるので足早に近付いて見る。
道中を考えて普段着ているような着物ではなく、動き易さ重視の為何やら男児のような出で立ちになってしまったがそこはまぁ仕方が無い。
「……おおぉぉぉおお…! こいがたくさん…!!!」
色んな色の鯉がいて、子供心では正直「凄い」としか形容し難かったらしい。
その時、突然背後の茂みが音を立てたかと思うと
「そこの者! それはお館様が大事にしておられる鯉ゆえいたずらでもしたら叱られるぞ!!」
「はっ…!?」
人間が出て来て叫ばれた。
別には悪戯しようとかしていたわけではなく、綺麗だと思ったからただ覗き込んでいただけなのだが。
それをこんな一方的に怒られるとは気分が悪い。男児からしてみれば親切心とか色々な感情から来たもので注意しただけなのだが、にとってみれば悪い事をしてもいないのに怒られたという不満の原因にしかならない。と言うかこの歳は見事に反抗期にかかっていた。
思わず伊達兵のように喧嘩腰になってしまいそうだったが、そこは抑えて黙って彼を見つめた。
ちょこんと髪の後ろを結っている少年。丸っこい瞳がその活発さを表しているようだ。
(さてはコイツこれにいたずらして怒られたな)
男児に向けていた視線を鯉に戻す。そしてまた彼を見た。
見た感じでは政宗と同じか、少し年上といったところだろうか。
「年上には敬語」と一国の姫らしくもない信条を掲げているだが、流石にこれはまだその許容範囲内ではないらしい。
自分との年齢の上下だってはっきりと解らない。そんな相手にはは無遠慮だ。
無礼な事だって当然思う。相手が少しでも自分より上だと解れば良いのだが、何分この年頃の子供というのは見目が恐ろしく早く変化する為ハッキリとは特定し難い。
「…む。何でござるか」
「……名は?」
その男児は「名を訊くならば自分から名乗れ」と言いたげな表情をしたが、「真田、弁丸だ」と名乗った。
「弁丸…。へェ」
「俺も名乗ったのだから、そちらも名乗られよ」
「あ…そっか。…えー、伊達だ」
「………………………?」
何か名前に不都合でもあったのか。いや、名前に不都合なんてないだろう。
ふとそんな事を考えていると、弁丸はちょっと変わった顔をしながら
「珍しい名前だな」
と零した。
(……珍しい、かな…?)
自身は別段珍しい名前だとも思わないが、こちらの地方ではあまりない名前なのかも知れない。
一応相鎚だけは打っておく。
「若っ、何やってんのもー。隠れんぼするんじゃなかったのー?」
「佐助っ! し、仕方がなかったのだ!!」
突然空から人が降りて来た。
はビクリと身体を震わせ目を丸くする。
身軽さからして忍という事は解る。も忍という者は知っていた。伊達家にだって忍はいる。
しかし目の前に出て来た事なんて初めてだった。城では彼らを直接見た事がない。
「おぉ、佐助! こっちはだ!」
「? …あぁ、そっか。今伊達の当主が見えてるんだっけね」
佐助はふと気付いた。
大雑把ではあるが、忍の勘とでも言うのかも知れない。
今目の前にいる子供達の感情の行き違いに気付いたのだ。
(…はっはーん…。それで若がこんな対応なわけかァ…)
そして先程から自分に突き刺さる視線にも気付いた。
横目でそれを捉えれば、と紹介された子供がじっと自分の方を見ている。
何かを期待されているのか。
「あ、あのー…?」
「えっ!? あ、ご、ごめんなさい!! 忍の方って、珍しくて…つい…」
領主の子供らしくないなァ、というのが第一印象。
他国の忍にわざわざ敬語だなんて。忍だなんて下の方の使いっぱだ。
「む? …は、武芸をたしなむのか?」
「えっ!? な、何で解ったの!!?」
「指の肉刺は長物の鍛錬でついたものではござろう?」
弁丸のその言葉に思わずは喜びの余り僅かに息を呑んだ。
姫という立場である自分が武芸をやっているという事に対して嫌な顔ひとつしないで認めてくれる人間なんて初めてだった。
肉刺の場所ひとつで相手の獲物が何であるのかを察せるという事は、彼も相当武芸に励んでいる身なのだろう。
何はともあれ、否定されなかった事だけがにとっては嬉しい。
「べっ、弁丸! あの、さ……」
「む?」
「…手合わせ……願える?」
弁丸はその瞬間バッと熱が全て顔に集まるような感覚に見舞われたが、すぐに「無論」と了承の返事を返した。
勿論その時のの表情は言うまでもない。
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「弁丸は強いな…っ!」
「はっ…! もでござるっ…!!」
「え、ちょ、何これ本当にガキ同士の対決?」
その辺の兵士よりも捌きが上手い。
佐助本人は弁丸の日頃の鍛錬を見ているからこの程度だと解っていたのだが、まさかまでもがそうだとは思わなかった。
少しは出来るだろうと思っていたが、弁丸と同等に渡り合えるほど力はあるらしい。
「ありがとっ! 本気で手合わせ出来る人って周りにいないから楽しかった!!」
「うむ、俺もだ!!」
そして手合わせは終わった様子を見せた。二人の間には友情が見事に芽生えたらしく、ガシリと手を握り合っていた。
(ちょっと、何この雰囲気。俺様はどーすれば良いの!?)
二人はまだ余韻から冷め切っていない。
するとその時少し離れた場所から呼びかける声が聞こえた。
声の主はの実父・伊達輝宗その人であった。
「おーい、ーっ! 何でか梵天丸が来たぞーっ!!」
「えぇっ! 梵天んんん!!!?」
突然の事に伊達家の人間は勿論、その場にいた弁丸や佐助も驚いた様子だった。いや、驚いた様子よりかは、些か困惑した色が濃く滲み出ていたが。
「あっ、姉上ーっ!!!」
「梵天ーっ!! どうしてもっと早くにって言うか何で最初から一緒に行こうって言えないのお前は!!!」
「え……。だって、来る気ありませんでしたし」
「何でだよ…!!!」
「あ、あねうえ……?」
ハッとした様子で縁が振り向けば、弁丸が凄い打ち拉がれた様子でその場に棒立ちしていた。
先程との表情の違いに思わずも肩を震わせる。
「あ、あねうえだと…!? さっ、佐助! つまり、これは、その」
「おいおい混乱しちゃってるよ〜…。だーからね、若。ちゃんは男じゃなくて女の子。どーせ勘違いしてたんでしょー。」
女の子の前じゃありえないぐらいあがるくせにいつもと反応が違ったから薄々勘付いてはいたのだ。
最後の最後まで弁丸本人は信じ込んでいたようだが。
「じゃ、じゃあまさかは女子…!?」
「若、さっきから何回同じ事繰り返させるの?」
梵天丸はの裾を握り締めたまま、弁丸に訝しむような視線を向けていた。
実姉を男に間違われたのだから怒りだって多少はあった。子供ゆえに些細で単純極まりないものではあるが。
「あ、あの…? 弁丸…?」
「うっ、おっ、ぁ…うぉぉぉおおおおおぉぉぉぉおおぉおおおおおおおお!!!!!!!!!!」
「えぇぇぇぇぇええええええ!!!!!?? なっ、何で逃げるの―――っ!!?」
結局が再び弁丸の姿を見たのは奥州へ帰る時の見送り時だった。
最初とは少し変わってあまりまともに目も合わさずに喋られたのが少し寂しかった。
梵天丸の表情が終始不機嫌そうだったのは言うまでもない。
* * *
「なーんて事が、ございましたよねェ、幸村様」
「……は某の過去の辱めを曝すのが楽しいのか?」
「あら、『某』だなんて。いつもは『俺』と仰るくせに。ねェ、佐助さん」
「姫強いなー…。旦那も形無しだね!」
「……もう嫌でござる…!」
晴れた日の上田城の縁側では、そんな会話が繰り広げられていた。
あとがき
拍手でチラッと幸×姫の馴れ初め話が見たいと仰ってくれた方がいらっしゃいましたので^^
こんなんでした。それにしても本当に梵天出番少ないな。どうしよ、ただ自然に姉上と呼ばせて弁丸に女だと気付かせる役だけだったという事がモロバレじゃないか…!!!←
まァ、姫は昔っから男勝りな子でしたから、こーいうのが一番似合ってるかな、なんて。
2008.05.08
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